初、小説を書かせていただきました。いや、描かせていただきました、なのか。
どんなカタチにしても、私は表現者でありたいのです、
なんてかっこつけてみる。カッコつけてみる()

「夜の電線に攫われて」原作短編小説 こぴ 

妙な静けさを感じると、決まって電話が鳴る。
何かの警告のような、何かが終わってしまっているような、そんな感じだ。

「もしもし?お疲れ。今日何時に家来るの?」
二十八歳の会社員、木下翔悟とは付き合って三年が経つ。 顔はそれほど好みではないけれど、いつも私のことを素敵だね、と褒めてくれるような人。
そういや酒に飲まれて朝帰りしたあの日も、いつもと変わらず曇りない笑顔で「おかえり」と言ってくれていたな。
すぐ迎え行く、と、電話越しの柔らかい声が風の吹く音にみるみる溶け込んでいくのがわかる。緩やかな坂道、遠くの方に小さく影が見える。その影は買い物袋を持った私を見てきっと慌てて駆け寄ってくる。
彼は優しかった。
きっと、そんな優しさに甘えていただけなんだろう。

二十二時。翔吾の家からの帰り道、電話が鳴った。
「よー!久々!今みんなで飲んでんだけどさ、お前に紹介したいやつがいるんよ」
「祐樹じゃん!急に何?高校の時ぶりだよね?えっ何酔っ払い?」
「いいからいいから。俺の友達なんだけどさ、いい奴がいるんよ。ほらこいつが会話したいって」
「えっ、ねえ何誰?!」

「…もしもし?あーっと…友達の江藤です」
宿に着いた修学旅行の生徒のような声が遠く近くで交差する中でも、よく聞き取れる、落ち着いて澄み透った声だった。
「なんかあいつが急に変なこと言ってごめんね。ちょっと酔ってるみたいで」
「いや全然!祐樹昔からあんな感じだし、本当変わってないなあ。そっち、楽しそうね。」
「賑やかだよー。もしよかったらさ、今から来る?あ、たぶん俺もちょっと酔ってるわごめん」

気づいたら昭和のポスターや提灯でレトロ間を演出したその場所に私はいた。
学園祭みたいな内装、よくある店。一日の疲れを酒でいやす人々がぎっしりつまっている。
辺りを見渡していると、真っ黒な瞳と目が合った。すっとした端整な顔立ちの男性が、私に気付くなり、ようと控えめに手を上げる。

それから私たち三人はぼんやりとした会話を果てることなく続けた。祐樹とは久々の再会のはずなのに、中学時代の話をするわけでもなく、ツイッターで知ったか誰かと話題にしたような最近の話を思い出したように口にした。会話の辿り着く先よりも、江藤くんの前髪から覗く二重瞼を自然とじっと追いかけていた。

「あー割ときてますこれ、酔ってます。帰ります。」
「祐樹、もう帰んの?同級生、来たばっかじゃん。」
「えっ、どうすんの私たち」
「すんません。二人で楽しんで!んじゃ」
ふわふわした意識の中でも江藤くんの輪郭は私だけにくっきり見えていたんだと思う。
「遅くまでごめんね?こんな楽しいの久しぶりだわ。いつも周り男ばっかだからさ。」
「本当えとーちゃんって面白いんだね、かっこいいのにさ、面白い。」
「なんだそれ、変な褒め方。てか、もうこんな時間かよ」
小洒落た古着?のシャツを腕捲りし、時々腕を上げて目をやるその仕草も、ジョッキを取るたびに見える白くて細い手首も、美しい。それを見ているというよりも、音として聴こえてくるみたいだ。第二ボタンまで外されたシャツからは、鎖骨のラインが覗いて見える。

「終電まだあるの?うち、近いけど」
「んん….どうだったかな」
上京して半年、終電が何時まであるかなんてことは既に知っていた。
ほんのわずかな間が、緊張を含んで2人だけの空間を満たした。

「意外と…ないんだよね」

その透き通った瞳に吸い込まれる夜を、何度過ごしただろうか。時間の存在すら忘れてしまっていたほどだ。それでもだらだらと平気で日常の営みができている私がこの六畳半の部屋にいた。

「毎回家来るたびタバコ吸ってるとこじいっと見てくるじゃん、何だい、お姉さんよう」
夏の風が吹くたび、彼の伸びた前髪がふわりと揺れ、お気に入りのシャンプーの淡い香りがそっと私の鼻を打つ。
「タバコの匂い、苦手なんだけど、 えとーちゃんが吸ってる横顔見るの、好きなんだよね」
顔が火照っているのが分かるからあえてこんなこと言えるの、分かってるでしょうと、ぱらりと額に落ちた髪を整えてぐいっと缶ビールを流し込む。
「小さいことなんて気にせずさ、今宵も飲みましょうよ、お兄さん」
全部5%の罠のせいにしてしまおう。朝になったら、どうでもよくなる。これはきっと浮気ではない、
たぶん。

胸の奥底に閉じ込めた小さな罪悪感が、今日も夜の電線を伝わって、風にさらわれていく。
「今日も彼氏の家行くの?そろそろ別れなよ。いつ付き合ってくれんの?」
「うん、分かってる、大丈夫」
耳の奥から心が腐ってきているはずなのに、江藤くんの音はいつも透き通っていて、それがまた機械を通して誇張され、私の狭い胸を吹き抜けていく。

「もしもし?お疲れ様。ご飯、作ってるよ。何時に来る?」
「うん、毎回ごめんね、もうすぐ」
いつも通りの翔悟の優しさを感じるたびに、引き延ばされた夕暮れの中にいるようだった。
眠るような平穏な日々が、いつしか痛みに変わってしまっていたのかもしれない。こうなってくると、きっと私の声も、翔悟の声も、お互い何を言っても最終的にばらばらに砕けてしまうのだろう。瞼を閉じた瞬間、真夜中に光る透き通った瞳を想った時、この電話で、これで最後にしようと誓った。

「あのさ、ずっと言おうと思ってたの、実は、ね…?すこし前からちょっと、相談受けてる人がいてさ、仲良かった同級生の友達でね?今ちょっとその人のことが気になって…」

じっと、何かを眺めているような沈黙だった。切迫した呼吸音が、一つ二つと、自分でもはっきりと聞こえてくるほどだ。

「…知ってたよ。うん、知ってた」
その声はとても穏やかだったけれど、深い谷底から響いてくるように聞こえた。
その黒い四角い板を握る手に力が入る気配まで伝わってくる。
「え…?」

「…相手を思って口に出さない事が、秘密にしておく事が、かえって人を傷つけるんだよ」
電話越しの柔らかい声が、電車の騒音に掻き消されてぷつぷつ途切れている。
その声は不鮮明に、小さく途切れ途切れながら、蒸発していくようだった。
「言うの遅くなったのはごめん、ごめん..翔悟のこと、嫌いになったわけじゃないんだけど…」
「…三年も付き合ってりゃ、君が誰を好きになったかなんて、気付いているよ。俺はタバコも吸えないからね」

あれからどれだけ月日が経っただろうか。いつの日だったか、寒さなんて二人でいれば我慢できるからと、夏より冬の方が好きだなんて言った。だけどやっぱり夏のほうが好きだったんだなあ、なんて季節が変わった今気付いて、身を守るように肩をすぼめる。買い物袋を持った私を見て慌てて駆け寄ってくる人間も、優しいおかえりも、あの時交わしたビールと共に流し込んでしまったのだ。

新しい真っ赤な口紅を、長引いた夕暮れを染めるように重ねる。冬の冷たい風が鋭く頰を削ると、短くなった髪が耳の上で仕方なさそうに揺れる。
あの頃から変わった事といえば、じょうずに嘘をつけるようになったことくらいかと、ため息とともに煙を吐き出す。

その時、電話が鳴った。

企画、音楽:mihiro(noto)
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江藤役:しんぐんさん
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