n-bunaさんの花降らしを歌わせていただきました。

長い自分語りにはなりますが、ちょうど原曲が投稿された2016年の5月7日は、今はもういない大好きな父が私に残り少ない余命を告白した日でした。

ちょうど当時高校3年生だった私は、塾終わりに父のお見舞いに行く時、投稿されたばかりの花降らしを聴いていました。

「来年の桜が咲く頃にはもう一緒にいられない。娘の今後の晴れ姿を見守ることができない。不甲斐ない父親でごめんね」

と、痩せた父の口から初めてもう長くはないことを告げられ、呆然としたまま帰りながら聴いたこの曲は全く違って聴こえて、なんだか自分の状況と重なっている気がして大泣きしてしまったのを覚えています。

当時の私は部活や勉強に追いつけずストレスで体を壊してばかりで自分のことで精一杯でした。
家族はそんな私を見て、心配をかけさせまいと必死に病気を隠していたそうです。
愚かな私は、この日まで”お父さんは入院してるけどすぐ治る病気だから大丈夫“という家族ぐるみの嘘を信じていました。

父には「少しでも思い出を作ろう。自分にやれることがあったら何でもしたい。」と手紙を送ったけれど、返事をもらえる前に容態は急変し、言葉を交わすことができなくなってしまいました。

父の大きすぎるお葬式に、心配ばかりかけて何もできなかった私がぽつんといて、皆から想われていた父よりも価値のない自分が生きているのが許せなくて、いなくなるなら私がよかったと考え続けていました。

でも、父の病気をきっかけに、エゴでしかないとわかってはいたけれど、父のように理不尽な病気に苦しむ人とそのご家族が、私のように悔やまないようにお手伝いがしたいと終末期の病院で働くことに決めました。

そして去年の桜が咲く季節、偶然父と同じ病気の患者様が担当になりました。
その方も余命は1か月もなく全てを諦めていた方でしたが、奇跡的に歩けるようになるまで回復されて、満開の桜の中、ご家族と最後の時を過ごすため笑顔で退院されていきました。

自分の中で昇華された出来事があり、周りの人の支えもあって、今こうして、この曲を歌わせていただいています。

お父さん、

私、相変わらず不器用だから今でもずっと上手くいかないことばかりで苦しいよ。
でも「貴女に担当してもらえてよかった」ってみんなが笑顔になってくれるから私まだまだ誰かのために頑張りたい。

お母さんの誕生日には頑張って旅行をプレゼントしたよ。旅行の最中に少し喧嘩しちゃったけど、またリベンジしようねって話してるよ。

今年の桜も、短かったけどちゃんと綺麗だったよ。

本家様:https://www.youtube.com/watch?v=z8IpY_XeusQ

Mix,Mst:Dr.Kamo様